コンセプト・製品のこだわり

 自然の香りと健康!

ローズマリー消臭剤は10年たって、漸く販売できる製品にまでこぎつける事が出来ます。商品の名は「ニゲロ」です。

10年と言う歳月の中で製造方法や効果・効能について、人々にどう貢献できる事が出来るかが私の人生に於いて大事でした。それは実験や体験です。今解かった事はすべて記録されていますが、抽出方法や製造時間や素材の量的問題など大きな課題をクリア出来ました。先ず、人への効果、効能です。それから動物や虫などにもどの様に働くかという記録です。勿論一番大切なことは人間にどの様な効果が働き、良性か否かどうかと言う極めて大切な問題への挑戦でした。人には、私と家内の二人三脚と言いますか、それが大一番のコンセプトです。その体験がこの事業の大きな課題でした。ローズマリーの弱毒性説は確かに存在すると言う実証も得られた上で、多くの方々にもその事が理解された事です。多くの知人や兄や弟などの体験など、モニターからの聞き取りも大事な役目です。お協力頂いた多くの方々には心から感謝いたします。今後とも宜しくお願いいたします。

 香り製品へのこだわりで街づくり!へ

多くのお客様に、この製品を使用して喜んでいただくことです。年を取ってもおかげで元気になったと言われることが喜びです。

我が国は高齢者が多く元気で、働く事が難しい老人には、家族でも厳しい環境にあります。それにしても働く場所が少なくなるなど、世界的な経済競争の拡大はますます。海外へと働く場を移し、仕事は奪われる環境になっていきます。残る者は高齢者か弱敗者ばかりが残る事になります。農業や水産業まで世界的な競争はますます卑劣になる事が予想されます。人口まで小子は著しく縮小し人口は一億を割る勢いです。宮崎県は50年までには人口85万まで限定した抑制への宣言までされています。

豊かさを実現するには、多くの生産物を国内で生産しなければ残された国民は豊かにはなれません。これからは健康志向と老後の生き方の改善です。如何に安らかに死を迎えるか?等しさも大事な課題となっています。病にも係らず、安らかな死が迎えられるなら最高の幸わせではないでしょうか!・・ニゲロは、その為の大事な布石として活用出来る。起爆剤として期待されます。香りの原点は健康と心地よさなのです。私の姉が亡くなる時お父さんやお母さんに向かって私しは、これから天国に行きます。と言って笑いながら、!亡くなったそうです。・・・その様な気持ちで一生を遂げることがあれば最高の死に方ではないでしょうか?。

唯老人は後に生きる者の心配も多くあります。世界的な自由競争は海外へと拡大されます。そうした人口の海外への流出によって国内の経済は弱体化し、多くの街は衰塀化します。日本の豊かさは多くの外国人に愛される日本に成るしかありませんが。

魅力ある日本の為に日本を支えるには、男弱老女も含め残された若きもが日本を支えるしかないのです。良い匂いは健康の原点です。多くの海外からの旅行客を招くにも、素晴らしい香りに包まれた日本であればきっと多くの観光客も日本を訪れることは間違いありません。起業と街づくりは一体のものです。栽培から製造販売まで領域は広がるのです。

花や、植物からの香りの採取は地域の産業として宮崎を支えるかもしれません。

香りの街づくりは私たちに健康と裕福な幸せを運んでくれるでしょう。

私事で申し訳ありませんが、大太郎は昭和10年一月六日生まれですが今年で82歳を迎えました。この名前の事で16歳年上の姉は名前の事で随分反対したそうですが、そのまま大太郎のままでした。
御蔭で元気に居られるのが一番の喜びです。

私には去年2015年1月13日に兄が亡くなり、昨年は1月22日に弟が亡くなりました。・兄は大の酒が好きでした。その酒が命を縮めたのだと感じています。
26年間病棟生活で亡くなっています。
弟は釣りに行き岩場で滑り頭を投打した事が原因で18年の闘病にて昨年1月22日に息を引き取りました。
如何に命は大切かという事をつくづく感じさせられました。昨年は海外では蚊からの媒介する。天狗熱で多くの人々が亡くなっています。

*天狗熱への対策も世界的な掲題です。蚊などは香り成分によって効果が発揮出来る可能性があります。ニゲロは天狗熱媒介駆除出来れば2つ目の喜びになります。夏の海岸に自生するハマゴウに今照準を合わせながら準備しています。 蚊には色んな種類があるので厄介ですね。この様な生き方を続けローズマリの効果を試しながら家内ともども、どの位生きていけるか試しながら生活します。・・・2015年の事ですが、記憶力が45歳だそうですが二年もたたずに記憶力低下が急に現れています。近くの病院で検査を受けましたが運転にはしょうないと言われました。家内は4回脳梗塞で病んでいますが、今は殆ど記憶力も昔と変わらず生活できています。家計簿は家内に任せ切りです。

御蔭で長生きしましたねと言われば最高です。

若かった姉の事ですが亡くなったときは16才だったそうです。大正6年生まれです。亡くなる前、お父さんとお母さんを枕もとに呼び、今からお願いがあります。と言い二人とも私の言う事を聞いてくれますか。と言い私は今から天国に行きますが、お父さんとお母さんの事や弟たちの事が大変気になります。と言って今から私が話す事を聞いて下さいと言い、クリスチャンになってくれませんかと言って二人ともいいよアンタが言う事は皆な聞くからね、と言ったら、・・ァ・・うれしい・・・と言って今から天国行きますと言って・・にっこりと・・・笑って亡くなったそうです。そうして私の名前の事で可哀想だと言ったそうです。わたしの名前は大太郎です。私が生まれた年から9月18日・・・死亡とあります。

わたくしは82才を過ぎて、家内は今年80才を迎えます。